人間の行う行為には三種類しかない。 思うこと・語ること・行うこと、この三つだ。
仏教ではこれを身・口・意の三業(さんごう)という。 「業が深い」という時などの「ごう」だ。
真言密教ではこれを三密(さんみつ)とも言う。 「三密加持すれば速疾に顕る」 生きているこの身
そのままで仏になれるというのが、即身成仏を説いた弘法大師空海様の教えだ。
つまり、神のごとくに思い、神のごとくに語り、神のように行うこと、これがひと(霊止)としての本来
あるべき姿という事だ。
「神様、貴方の想いが私の想いとなりますように、貴方の言葉が私の言葉になりますように、そし
て貴方の慈悲の行いが私の行いとなりますように。」
祈りの言葉もこれ一つで良い、これが本当の三密加持である。
嫌な事を言われてチキショーと思ったり、なんだこのヤローと言い返してみたり、八つ当たりして
落ちてる空き缶を蹴っ飛ばしたりしちゃーいけないよ、という話なんだけど、そんな神様みたいな
心でいつも居られるものかいな?
世間ではネガティブな出来事が余りにも多い、そのなかにあって自分の思い・言葉・行為を律して
いくと言うのは生半な事ではない。
勿論俗世間は捨て去って出家するという方法もある。今は純粋に悟りを求めて出家するという人
は少ないと思うけれど、俗世間からは離れたいと言う気持ちも解らないではない。
これはこれで一つの方法だとは思うけれど、あくまでも例外的な生き方だ。
俗世間の中にあって神のごとくに生きてみようと思うと、これは凄まじい修行になる。
「成らぬ堪忍するが堪忍」できる堪忍は誰でもできる、成らぬ堪忍をするのが真の堪忍だ。
こんな意味らしいが、三密は超えないと過労死してしまうのが関の山だ。
それを突き抜けたところに真の我がある。 人生とはそこに到達するまでの修行なのだろうと思う。
昨日よりは今日、今日よりは明日と、少しずつでも向上していく事ができれば良いのでしょう。
さて、花梨さんがPBFDの小鳥たちにしている看護の仕方、気療法と言って良いと思いますが、
これは同時に素晴らしい三密加持修行ですね。
良くなるように念を送り、言葉をかけてマッサージもする、これほと゜完璧な看護法は無いと思い
ます。 そこにあるのは良くなって欲しいと言う飼い主としての純粋な愛情です。
修行方法にも色々ありますが、毎日一定時間お世話という時間を持つ事は、瞑想したり真言を
唱えたりするという事以上の価値があるように思います。
PBFDの小鳥たちを客体として、自らが純粋な愛と一体となる修行行為をしている様に私には
見えます。
勿論花梨さん自身にはそんな意識は無く、ただ良くなって欲しいと言う気持ちだけだろうと思い
ますが、PBFDの小鳥たちが花梨さんを無償の愛の実践へと導いてくれていると考える事もでき
ます。 どちらにしても、私たちは人間の三行為を訓練していく必要があるのです。
ペットは生き物としての客体があり、また誤魔化しも出来ない分、こちらも真剣に取り組まざるを
得ません。 実践している看護法が花梨さんをより高い境地へと導いてくれる様に思います。
PBFDから無事に回復してもしなくても、花梨さんのこころと小鳥には共に過ごした濃密な時間が
いつまでも残る事になるだろうと思います。
最近はアニマルセラピーという言葉も良く聞きますね。
人間はどうしても個我が強く反自然的な生き物ですから、動物と触れ合う方が純粋で自然に
帰れ易くなるのかもしれませんね。
お互いに癒し、癒しあう、和の場を形成する。ペットを飼う、一緒に暮らすという醍醐味はここに
あるのかもしれませんね。 (08/2/9) |