Q&A 殻付き雑穀の保存法について

Q:一つ質問があります。 紙袋に入れて、段ボール箱に入れて保存しているんですが、
  GW中に祖母と雑穀の話になった時に、「さらし布の袋の方が良いよ」と祖母が古い手ぬぐいを
  利用して袋を作ってくれたのです。
  せっかくだからできれば使ってあげたいと思うのですが、布製の袋でも大丈夫ですか?
  どうぞ、よろしくお願いします。         M・R様より  (05/5/10)
A:この質問メールに対して私は以下の様に返信しました。
  「さすがおばあちゃんですね。私も種子として使うものは麻袋に入れて保管するようにしてい
  ます。布袋の方がはるかに親和力が高いと思っています。
  ただ普通は布袋などはないのが普通ですし、何年も保存するわけでもありませんから、便宜上
  紙袋をお勧めしています。
  せっかくの手作り袋ですから大事に使われたら宜しいと思います。
  もうすぐ梅雨時期に入りますよね。
  余り湿気が気になるようでしたら、布袋に入れたものを一斗缶(煎餅やお菓子が入っている
  スチール缶)に入れておくのも良いかもしれません。勿論しまいっばなしではないでしょうから、
  ダンボール箱でも大丈夫だと思います。
  何によらず年寄りの言う事は素直に聞いておいた方が良いと思います。 
  理屈ではなく体験に裏打ちされた知恵袋だと思います。」

雑穀や豆の保存法としては、麻袋に入れたり、柿渋を塗った柿渋紙を使うといったような先代から
の知恵があります。理屈ではなく、経験に基ずく事実から伝えられてきている方法です。
このメールから、皆さん何を感じるでしょうか?
可愛い孫の為に手縫いして作ってくれた布袋、それを大事に使いたいというお孫さん、わざわざ私
にまで聞いてくる律儀さ、当然おばあちゃんからは新聞紙に広げての虫干しの方法等も聞いて
いる事でしょうし、このケースの場合は保存で失敗するという事は考え難いことです。

日本には「針供養」というものがあります。 その他にもしめ縄焼きや人形供養等、物をただ物と
して取り扱うという事はありません。 物に魂が宿るという事を素直に感じ取れる国民性であり、
世界でも稀な事だと思います。
物とは何でしょう? 物質は物質としてただ存在するのでしょうか?物は全て同じものでしようか?

物には出来ると同時に魂が宿ります。その物にどんな魂が宿っているのかというのが決定的に
大事な事になってきます。
おばあちゃんの手作り袋には、かわいい孫を思う気持ちが一針一針ごとに縫いこまれていくの
です。それをお孫さんが大事に使っていく、この愛と調和の波動こそが何にも勝る防虫効果と
なるのです。
物は決して意味無く腐っていくものではありません。 虫も人を困らせるためにただ発生するの
でもありません。 この世においては愛と調和の波動こそが真実であり、これを無視して存在
できるものなど何一つ存在しません。 愛と調和の布袋を凌駕する保存法など存在しないという
事です。 大切に保護された雑穀はいつまでもその新鮮な命を保ち続けていく事ができるのです。

何度も繰り返しますが、殻付き雑穀は生きている種子であり、命そのものです。
単なる物質ではなく、商品なのでもありません。
生きている種子の保存法、紙袋又は布袋に入れて冷暗所で常温保存。 命ある物の保存法と
してはこれ以外の方法はありません。
ポイントはそれが生きているのか、死んでいるのかという事です。
暑くて大変だからといってインコを冷蔵庫に入れて飼う人はいないでしょう? 人間も気候の変化
に合わせながら常温で生きていきます。 常温で何故平気かというと生きているからです。
人間も死んでしまうと腐敗が始まりますし、二日もすると異臭がしてくるでしょう。
冷蔵庫や冷凍庫で保存しなければなりません。
命あるものは生き、死んだものは腐敗していく、だからそれを保存する為には冷蔵や冷凍を
しなければならない、説明するまでもないことです。

殻付き雑穀は生きている種子なのだから生きているものとして扱わねばならない、これ以外にありません。 後は、これの利用法を考えた場合の前処理の仕方があると思います。
このように保存して来たものをどのように処理して使っていくかという事です。
小鳥や小動物の食餌として利用する場合にはそれなりの処理が必要になってくるかもしれません。
スーパーから買ってきた野菜にそのままかぶりつく人もいないと思いますが、水でよく洗ったあと
にそれぞれに調理して食べることになると思います。小鳥の食餌は火を通さずそのまま食べさせ
るわけですから、与える前には水でよく洗うとか、波動調整された水を使うとか、生体システム
浄水器を使うとか、安心やさい(ホッキ貝を主原料とした除菌剤、10分くらい浸けて使います)や
殺菌剤を使う、熱湯で2〜3分煮沸するとか、いろいろと方法はあるはずです。
どのような方法が良いのかはそれぞれの飼い主さんが決めていけば良い事です。

剥き身にした雑穀や白米の長期保存法としては真空パックするのが良い方法です。とにかく空気
にあたって酸化する事によって腐敗していくのですから、空気をシャットアウトする真空パックは
有効な方法だと思います。
殻付き雑穀の場合はどうか? これは何ともいえません。 種には呼吸する空気が必要です
から、真空パックにした時点で種は死んでしまいます。ただそのままの状態で長期保存していく
ことはできるわけですから、良いといえば良いのです。 ただ保存後のパックを開封した場合
には、既に死んでいると予想される為、冷蔵庫内での保存が必要と思います。
結局はその人の考え方次第で、生きている種子を与えたいと考えるか、あるいは腐敗や雑菌
防止を主に考えるかという事になると思います。どちらともいえません。
その人が納得する方法にするのが一番です。不安や心配が一番悪い影響を引き寄せます。
心配症の人には心配な事が次々と起きるものなのです。
以前にも不確定の原理について少し説明した事がありますが、外界は外界としてただそのもの
として存在するのではありません。全て自分の心の反映として起こることなのです。
カビや雑菌を心配する、その不安の念が実際にカビや雑菌を呼び寄せてしまうのです。
何よりも大事な事は自分のこころの有り方であり、全ては自らの心の反映として起こってくる事です。

普通は青酸カリを飲むと死にますが、世の中は広く、私は死なないという不動の信念を持つ人が
飲んでも死なないのです。 生体システム研究会では色んな実験をされていますが、金魚が入っ
ている水槽に青酸カリを入れても中の金魚は死にません。物には機能させる働きというものが
あり、エネルギー処理をする事によって無毒化させる事が出来るからです。 物そのものを変化
させるという事ではありません。
青酸カリは青酸カリのままで毒として働くその機能のみを取ってしまうという事が実際にできるのです。
これは物質は物質として不動の存在として存在するからではなく、その本質がエネルギーであり、
その根源に直接働きかけることによってその内容を変容させることが出来るからです。
本質はあくまでもエネルギーであり、物質とはそれが固まってあるように見える影にすぎません。
影を実在としてそればかり追ってみても仕方ない事なのです。
現代科学の最高峰とはやはり医学界でしょうか。DNAの解析も進んでいるようです。
素晴らしい科学の進歩と医療技術、次々と生み出される新薬、発展し続ける医療技術。
では、私達はこのおかげで健康で長生きして暮らせるようになったのでしょうか?
現代医学ではどうにもならない難病・奇病が次々と現れるのは何故でしょう?
孔子は二千年も前にこういわれました。「学んでいよいよ苦しみ、極めていよいよ迷う」と。
学問による理知には限りが無く、ましてや影に過ぎない物質を幾ら解析してみたところで真実が
極められる訳ではありません。
近所にはもう93歳になるご老人夫婦が住んでおられます。 子供の頃から喰うや喰わずの食
生活、戦争にも駆り出され、戻ってからは山に入っての重労働。しかし、いまだに元気で毎日散歩し、耳が遠くなる事も無く元気で暮らされています。 人が健康で幸せに生きるのに学問は不要です。
迷う必要がないだけ、無学の人のほうがお気楽に楽しく暮らせるのです。
栄養が、ばい菌が、サプリがと騒ぐ人はそうした世界に囚われて生きて行く以外にはないのです。
大変じゃないのかなぁ、と思います。

皆さんも飛行機に乗ったことがあると思います。飛行場がどんなに悪天候であっても、曇りで
あっても、離陸して雲を突き抜けてしまうと、一定高度以上にはもう雲は存在しません。
青いそらと太陽の世界があるばかりです。
雲を取り除こうと躍起になっても雲は次々とやってきます。
取り払おうと躍起になったりせずに、自分自身が高い高度へと立ち上るべきです。
そこには一片の雲さえ存在せず、青い空と輝く太陽があるばかりです。
物質にとらわれず、更なる高みへと自分自身を昇華すること。 これが唯一の人生の目的です。
真実はあなたを自由にしてくれるでしょう。それが魂の覚醒なのです。

「一針一針に心を込めた布袋」、これが素晴らしい保存法だと言う意味が解って頂けたでしょうか?
愛と調和の波動こそが唯一の実在であり、そのようにして作られてた布袋はまさに愛そのものと言ってよいのです。

普段私達はテレビを見、携帯電話を使用しています。電波もまた波動形態のひとつであり、五感
では感じることができないものですが、まさしくそこにあるものです。
私達はそろそろ物質の束縛から解放され、目に見えぬ世界への理解を深めていくべき段階へと
来ています。
「見えるものは見えない世界へと繋がっているだろう。」 そしてそれこそが物の本質であり唯一の
実在なのです。
                                               (05/5/15)

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